農口尚彦の酒を支える、酒米づくりの記録 -田植え編-
2025.08.09
春風がやわらかく吹き抜ける5月。酒蔵から程近い小松市五国寺町では、すくすくと育った苗がついに田んぼへと送り出されました。
前回の「育苗編」では、米農家・竹村敏則さんがどのようにして酒米の苗を育てているのかをご紹介しました。今回の「田植え編」では、いよいよその苗が大地に根を張るための田植えの様子をお届けします。
今年の田植えは、いつもと少し違った風景。田んぼには、竹村さんのご家族や地元の方々に交じって、若い学生たちの姿がありました。金沢大学から有志の学生が訪れ、田植え作業を手伝ってくれたのです。
昨年から学生たちと話し合いを重ねて日本酒を共同開発した経緯があり、金沢大学とは協力関係を築いています。
若者たちを前に「自分たちで考えたお酒ができるまでに、どんな工程を踏んでいるのか。そのひとつを通じて、彼らにも何かを感じてもらえたら」と、竹村さんは丁寧に田植えの工程を説明していました。
この日にはすでに整えられていましたが、田植え前の田んぼの準備も大切です。
まず、乾燥した田んぼを掘り起こす「田起こし」。ただ土を柔らかくするだけでなく、微生物によって成分の分解が促されることで、植物が水分や栄養を吸収しやすい土壌に変化します。
田んぼの水漏れを防ぐため、田んぼの周りを土で塗り固める「畦塗り(あぜぬり)」を行い水を入れ、その後、耕うん機で土を細かく砕いてならす「代搔き」をします。水加減を調整しながら苗が沈みすぎないように仕上げるのが米の高収量につながるのだそうです。
竹村さんが行うのは微生物を増やすことで土壌を良好に保ち、その力によって米を生育する自然農法。除草剤や農薬、化学肥料を使用せず、有機肥料を活用しながら、その地域の生態系を大切にした栽培方法です。
田植え作業は、人の手で苗箱を積み、田植え機で田んぼに苗を植え付けると同時に有機肥料を散布します。
苗の植え付けは、真っ直ぐ、均等に。そうすることで白山から吹いてくる風が稲の間を通り抜けやすくなり、成長を促すのだとか。苗を植える間隔や1株の本数も、長年研究をくり返してきて決められています。「植える深さ、間隔、タイミング。どれを取っても、米には“ちょうどいい”がある。それを探るのが、毎年の課題ですね」と竹村さんは話します。
「この土地の水は、ミネラルが少ない軟水なんです。米にとっては吸収しやすく、すっきりとした味わいに仕上がります」。小松市山間部は、古くから稲作が盛んな地域です。白山山系から流れる清らかな水と、昼夜の寒暖差のある気候、そして粘り気のある土壌。これらの要素がそろっているからこそ、良質な米が育つといいます。
なお、農口尚彦研究所の日本酒に使われる仕込み水も、同じ水が使用されています。この土地の恵みである美しい水が、竹村さんの手によって米になり、その米が農口杜氏の手によって酒になるのです。
兄と共に長年この土地で有機農法の米を育ててきた竹村さん。地域に伝わる知恵と、自身の経験、そして毎年の試行錯誤。それらが重なって、今の有機酒米が育てられています。日々高みを目指し挑戦をいとわない姿は、どこか農口杜氏と重なるようにも思えました。
田んぼに植えられた苗は、まだ頼りなげに風に揺れています。
しかし、「植えた直後の苗は、いちばん不安定な時期。でも、この自然と生態系の恵みを存分に受けて、ぐんと強くなるんですよ」と、まるで人の成長を見守るかのようなまなざしで、竹村さんは言います。
根が張り、葉が伸び、太陽の光をたっぷり浴びて稲が育っていく。その過程は、酒づくりの第一章にほかなりません。
次回は「稲刈り編」。田植えを終えた田んぼで、苗がどのように成長してきたのか。生育の過程を追って、収穫を迎えた酒米の姿をとらえます。