「乙巳年 迎春宝船ボトル 九谷焼 田村星都作」ができるまでvol.2
2024.12.20
間もなく訪れる2025年の干支は巳(へび)。蛇が脱皮を繰り返すことから巳年には「再生・復活・新たな始まり」などの意味があるといいます。そんな新年にぴったりの商品をご用意いたしました。農口尚彦研究所でも新たな挑戦となる陶器のボトル「迎春宝船ボトル」の日本酒です。
本連載では、特別な迎春宝船ボトルを共に制作いただいた方々に焦点を当て、その技術や想いを皆さまに知っていただきたいと思います。
vol.2の今回は、前回の記事で『ニッコー株式会社』様が制作されたボーンチャイナの酒瓶に、絵付けと文字の描き込みをしてくださる九谷毛筆細字師『田村星都』さんにお話しを伺いました。
工程が細分化され、分業制で発展してきた九谷焼。何度も焼成する工程があり出来上がりにも時間がかかります。その分高価なものも多いですが、繊細で華やかな絵付けは他の産地にはない誇り高き文化です。絵付けひとつとっても様々な技法がありますが、田村さんが専門とする「九谷毛筆細字技法」はご自身でも「かなりマニアックな技法なんですよ。九谷焼の愛好家でもご存じない方も多いんです」と笑います。
字の大きさで筆の細さを変えることなく、全て筆圧で調整を行う
田村さんが四代目を務める陶窯田村の工房は閑静な住宅街にあり、作業場の窓の外には田園風景が広がる静かな場所。小さいものでは1ミリ以下にもなる文字を筆で、しかも裸眼で、したためるというこの技法はとにかく集中力が必要になるため、作品と向き合うための環境は大切にしているそうです。
文字が書かれた焼物というのは、世界の歴史を見ても稀だといいます。元々お経や漢詩文などを図案化した中国の焼物が明治に入って九谷の地へ伝わり、それを見た陶窯田村の初代・小田清山氏が、日本の文字である仮名書を取り入れたいと和歌などの古典文学を描き込む手法を開始。最初は通常絵付けのされていない見込み(内側)に描き始め、そういった作品を見て文字を描く職人が増えていったそうです。職人の増加と共にその技術は自然と競われるようになり、より細かく美しいものを、とマクロの世界を繰り広げる「九谷毛筆細字技法」が確立されていきました。
元々家業を継ぐ気はなかったと話す田村さん。しかし大学時代に県外や海外に出たことで、他にはないものである一家相伝の技術の価値に気付いたといいます。この世界に入る前は一般企業に勤めていたといいますが、24歳で父・敬星氏に師事。近年、早期から個展を行う作家が多い中、「代々が行ってきたレベルになるまでは」と7年間の修業を経て初の個展を開催されました。
農口尚彦研究所内にあるテイスティングルーム「杜庵」でも、田村さんのぐい吞みを使用させていただいております。田村さん曰く「ぐい吞みは毛筆細字の魅力を発揮するのにぴったりな器」とのこと。手のひらに収まる器の中に小さな世界が描かれるそれは、文字であるにもかかわらず時に模様のようにも見える不思議さがあります。
今回迎春宝船ボトルに描いていただいたヘビの乗った宝船は、田村さんの作品で元々描いていたデザインを農口尚彦研究所のためにアレンジしていただきました。このデザインは、世間が落ち込んでいたコロナ禍に、田村さんが何か明るい作品をと始めたもの。その願いを、当社のお酒を皆さまで楽しんでいただく縁起の良いシーンに添えられたらと思います。
宝船は新年の季語とされ、宝船の絵に「長き夜の遠の睡りのみな目覚め波乗り船の音の良きかな」(ボトルは仮名書の表記 )という回文歌を書き添えたものを枕の下に入れると、良い初夢が見られるとされています。迎春宝船ボトルの正面には前述の回文歌が、裏面には祝いの気持ちを表した賀歌の中から田村さんが選んだ3首が入っています。
左は3度、右は2度焼成したもの。
普段は九谷焼の素地から作品を制作するため、ボーンチャイナへの絵付けに戸惑うこともあったという田村さん。「九谷焼は白といっても少し黄みがかっているので、そのベースに色を付けるのと、世界一の白さを謳うニッコー株式会社のボーンチャイナに色を付けるのでは、焼成後の色合いにかなり違いがあり、求めている色に調整するのが難しかったです。他にも筆の滑りなど質感の違いもありました」。
ニッコー株式会社の工場の窯で3回、田村さんの窯で2、3回と何度も焼き重ねられ長い時間をかけて完成するボトルには、農口杜氏が日々向き合って醸された特別な山廃純米大吟醸が詰められます。手仕事の技がつまった新年にふさわしいものです。田村さんは「手仕事はもちろん、仮名書や和歌、宝船などの縁起物、正月を家族でお酒を酌み交わし祝う昔ながらの日本の風景。このボトルには、あらゆる日本の文化や歴史が凝縮されていて、ぜひそういったものの意味なども考えていただきながら楽しんでほしいです」と話します。
今では「九谷毛筆細字技法」を扱える方は田村さんとその御父上である敬星氏のお二方のみ。精神力が必要な技術であるだけに難しさはもちろんありますが、田村さんはこの技術を受け継ぎたいという芯のある方がいたら家系以外からでも受け入れたいと未来を見据えます。飲んだ後で飾りたい、作品となって残る酒瓶は、皆さまの手によって世に広がっていき、我々農口尚彦研究所の目指す、日本の伝統を未来に残すことにもきっとつながると信じています。