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農口尚彦と山廃造り

2022.03.21

今期も無事「皆造(かいぞう)」を迎えました。

「皆造(かいぞう)」
皆造(かいぞう)とは、字の通り「皆、造りを終えた」という意味であり、今期に仕込まれた醪(もろみ)を全て搾り終えることを指します。


蔵人と農口杜氏は、約5ヶ月間の2021ヴィンテージの酒造りを終え、それぞれの日常に戻ります。
酒蔵はしばしの間、寂しくなりますが、再び秋には皆が戻って、酒造りの再開となります。


「山廃造り」との出会い

今回は、農口杜氏の代名詞ともいえる「山廃(やまはい)造り」の原点について、そして現在の酒造りへの想いについて書かせていただきます。

時は1960年代前半まで遡ります。

静岡県や三重県の酒蔵で11年間学んだ後、農口尚彦は、27歳の若さで「杜氏」としてのキャリアをスタートさせます。

その最初の酒造りで、これまで東海地方で学んだ「淡麗な日本酒」を石川県に紹介しようと、満を持して世に送り出しました。

しかし、自信を持ってリリースしたこの日本酒は、お客様から完全に否定されてしまいます。

当時、酒蔵周辺のお客様の多くは、林業に従事する人々でした。
一日中汗水流して働き、山から降りてきたお客様は、「淡麗な日本酒」とは反対の「体の芯まで栄養を行き渡らせるような、味の濃い日本酒」を求めていたのでした。

「酒造りとは自分の技術を見せるものではなく、飲んで下さるお客様を喜ばせることなのだ。

「杜氏になって最初の年に気づくことができて良かった」と農口尚彦は語ります。

そこから「どうしたらお客様を喜ばせることのできる、濃い酒を造ることができるのか」と模索した結果、「山廃造り」に行きつきました。

当時、醪(もろみ)が腐ってしまう「腐造(ふぞう)」のリスクを減らし、また製造期間を約2週間も短縮できる「速醸(そくじょう)造り」が既に主流となっていたため、「山廃造り」は敬遠され、造る者は殆どいなくなっていた時代でした。

「2歳の頃に他界した祖父は一世代を『山廃造り』で通し、続く父は『速醸造り』で通した」と農口尚彦は当時を回想します。

農口尚彦は、その挫折の年から京都に通い「山廃造り」の師匠から3年がかりでその製法を習得します。

その当時から約60年が経ちました。

時代が移り変わるとともに、お客様のライフスタイルも大きく変化し、
お客様の所在地は酒蔵周辺から、世界中へと広がりました。

この約60年間、農口尚彦はその時代のお客様に向き合い、その時々でお客様が求める味わいに合わせて、酒造りを変化させてきました。


農口尚彦が、今「目指す」日本酒とは

現代、お客様のニーズはますます多様化しています。

日本酒は、海外のお料理とペアリングされることも多くなってきました。

世界各国の料理を知るお客様に求められる日本酒は、どのようなものか。

5年前に開業した農口尚彦研究所で、農口尚彦は約60年前に答えとなった「山廃造り」に再び希望を託しています。

「山廃造り」でしか生み出すことができない、特有の酸味、膨らむ旨味、程良い重厚感、味わい深さ、そしてキレ。

あれから約60年間の年月と経験を経た農口尚彦は再び、現代のお客様、お料理に寄り添う日本酒を造るための「山廃造り」を模索しています。

2017ヴィンテージから、2021年ヴィンテージまでの5期の酒造りで、徐々に「山廃造り」の割合を増やし、今回「皆造」を終えた2021ヴィンテージでは「山廃造り」が半数を超えました。


農口尚彦研究所

「世界中のお客様に喜ばれる日本酒を造りたい」と農口尚彦は語ります。

「酒造りは一生かけても『わかった』ということはない」


農口尚彦研究所は、そんな農口尚彦の想い・情熱・生き様・技術を、孫ほどに歳の離れた蔵人が継承し、この先何百年も農口尚彦が描いた「夢」の実現に向けて進んでゆく、そのような酒蔵でありたいと考えています。


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